昨年11月に改正道交法が施行され、自転車で走行中の「ながらスマホ」や酒気帯び」について罰則が科されることになり、実際に検挙された事例が多く報道されました。遅くとも2026年には自転車に対する青キップも導入される予定になっています。
それとは別に、以前から身近なところで見かける自転車利用者の傍若無人な走行やルール無視、マナー違反、危険な行為に対して批判があったわけですが、今回の改正道交法施行で、あらためて注目が集まる形になりました。おおむね取締り強化に肯定的な意見が多く、自転車の危険な行為に厳しい目が向けられています。
個人的にも、ルール無視の自転車利用者は厳しく取り締まって欲しいと思っています。同じ自転車に乗る立場としても、非常に危険なことがありますし、迷惑極まりないと思います。自転車に乗る人全般に対する世間の反感が強まる点でも迷惑です。そして、それが少ない数でないのが問題です。
スマホを使いながら走行している人を見るのは日常茶飯事です。困るのは車道を逆走してくる人です。右側通行という違反行為を知らないか、何とも思っていないのでしょう。限られたスペースの中で、正面から相対する形になり、後方のクルマを気にしながら避けなければなりません。

また、右側通行している自転車とは、出会い頭に衝突しかねません。見通しの悪い交差点などでは、特に何のためらいも無く、速度も落とさずに曲がってくることもあり、非常に危険です。自分が違反しているため危険が生じていると理解していないと思われるのが厄介です。こちらが悪いかのように睨んで来る人もいます。
結果として危険な行為をする、ルールを無視した自転車利用者には腹が立ちます。趣味でロードバイクで走っているような人には、まずいませんが、ママチャリを日常のアシとして使っている人の中には、あまり法令遵守とかマナーなどを考えていないように見える人が、少なからずいるのは事実でしょう。
こうしたルールを守らない人が、自転車利用者全般のことのように扱われるのは不本意ですが、自転車に対して厳しい目が向けられるのは当然だと思います。この無法状態を根拠に、中には自転車に免許制度を導入せよと主張する人もいます。今に始まったことではなく、ネット上でも時々それを主張する人がいます。
下の引用は、先月載った新聞記事です。近年、テレビの番組での出来事などを改めて活字で報道するニュースを見かけることが増えました。これもそうした記事の一つでしょう。私は番組を見ていませんし、わざわざワイドショー番組での出来事について、コメントしても仕方ありません。
ただ、自転車に免許制度を導入せよという声が少なくないという見本として、このような議論が交わされたとの記事があったので引用しました。出演した専門家は、「自転車活用推進研究会」の小林成基理事長とあります。玉川氏というのは、特に自転車に詳しいわけではない、一般のコメンテーターでしょう。
玉川徹氏が激論バトル「自転車は免許制にすべき。成人に関しては」持論主張に専門家は異論
元テレビ朝日社員の玉川徹氏は18日、テレビ朝日系「羽鳥慎一モーニングショー」(月〜金曜午前8時)に出演し、自転車運転の罰則強化をめぐるパネル企画で、自転車を免許制度とするべきという持論を述べ、ゲスト解説した専門家と激論となるひと幕があった。
道路交通法改正を受けて、11月から自転車運転中にスマホなどを見ながら運転する「ながら運転」の罰則が強化されたほか、自転車の酒気帯び運転が新たに罰則の対象となった。この日の番組パネル企画では、自転車による事故が増えていることや違反行為の実態を紹介。対策策にも触れた。
自転車による事故がなくならない中、玉川氏が「成人に関しては、免許制度にすべきだと思う。子どもはしょうがない。小学生くらいまでは。でも、小学生なら学校で教えることができるが、大人はそういう場がなく、意識の変えようがない」と提案した。
これに対し、NPO法人「自転車活用推進研究会」の小林成基理事長は「これから変わろうとしている。2年以内に反則金制度を入れ、違反をすると損になるという状況をつくれば、分かりやすくなるし教育のプログラムもつくっている」と説明。その上で「玉川さんがおっしゃったけれど、免許制度についてはちょっと勘違いがあると思うんですよ」と、玉川氏の意見に反論し「考えて頂きたいのは、車は免許があるが事故は減らないし違反もやる。免許制度やナンバー制度を入れれば片付く、というのは勘違いと思う。教育をすることが重要」と述べた。
すると、玉川氏が「じゃあ、どうやって教育をするんですか。矯正を」「大人にどうやって矯正するんですか」と矢継ぎ早に質問。「大人に関してですか?」と応じた小林氏に「だって『知らないで(違反を)やっていた』とかおっしゃっている方がいる」と述べると、小林氏は「取り締まりを厳しくしようということと、メッセージが伝わるようにする」と提案した。
玉川氏は小林氏が発言中に「どうやって?」と指摘し、小林氏が説明で応じると、MCのフリーアナウンサー羽鳥慎一が「教育の1つとして、免許という選択は、小林さんとしてはあまり有効じゃないということですか」とフォロー。小林氏は「世界中、自転車の免許制度をとっているところはない。免許制度を維持するのは莫大(ばくだい)なお金がかかる。それよりむしろ教育。(今は)伝え方がまずい」と訴えた。
これに対し、玉川氏は、自動車免許の更新時の教育機会を設けることを提案したが、小林氏は「免許を書き換える時に結構、講習しているんですよ」と説明。これに対し、玉川氏は「アシスト付き自転車とか、動力の付いている自転車だってあるが、それでも信号無視して歩道を走っている人がいる。免許がなくてそういう自転車に乗っている人たちに、どうやって教習するんですか。無理です。免許制度にしないと絶対、矯正なんかできない」と持論を譲らなかった。
これに小林氏は「免許制度にする必要はないでしょ? 教育の制度を、ちゃんとつくるべきなんです」と変わらず反論。元AERA編集長長のジャーナリスト浜田敬子氏が「たとえば、自転車を買うときにビデオを見て登録する」と間に入って提案すると、小林氏は「今、自転車を買うと、いろんなルールは付いた本がついてくる」と述べたが、玉川氏は「読みませんよ」と突き放すように述べた。
小林氏は「逆に、それを読んで…」と述べかけたが、玉川氏は「免許更新の時に教習所に行って冊子を渡されるけど、あれを全部詠んでいる人が一体、どれくらい、いますかって」と疑問を呈した。
羽鳥はこの玉川氏の発言に「それはそうだけど。それを言っていたら進まないから。読まないと言っていたら進まない」とたしなめつつ「玉川さんの言っていることの方向性は、いいと思います」とフォローしていた。(2024年12月18日 日刊スポーツ)

自転車に免許制度を導入せよと声高に主張する気持ちは、上でも述べたように、わからないではありません。それぞれの意見ですから、そのこと自体を批難するつもりはありません。ただ、なぜ自転車に免許制度が無いのかも、冷静に考えてみる必要はあるのではないでしょうか。
まず、小林氏が言うように、世界で自転車に免許制度を導入している国はありません。一部の国の自治体で、啓発活動の一環として免許証に似たものを作り、自転車教室を開催して配布するといった例は海外でも、たまにあるとは思います。以前目にした記憶もあります。しかし、法律に基づく正式な制度としての免許はありません。
そして、もし自転車の免許制度を導入して、実効性を持たせようとするならば、莫大な費用がかかることも間違いありません。違法な自転車も問題ですが、国の予算として、より優先度の高いものはたくさんあります。実際問題として自転車の免許制度を法制化するのは難しいと言わざるを得ません。
さらに指摘しておきたいのは、もし仮に自転車免許制度が出来たら、それは警察官僚やそのOBにとって、非常に美味しい権益となることです。すでに実例があります。クルマの運転免許関係は利権だらけです。警察官僚に天下り先をわざわざ作ってやるようなものです。

例えば交通安全協会、全国組織もあれば各都道府県ごとにもあります。その職員の多くは退職した警察官や警察官僚の天下りです。免許をお持ちの方なら免許更新の際に、あたかも義務かのように交通安全協会への加入を求められ、お金を支払った人もあるのではないでしょうか。
実は任意で、まったく入会する必要はありません。入会しても何の意味もない証拠に、警察関係者で加入している人は皆無だと言います。さらに、こうした組織が運転免許講習などを独占受注しています。そして、5年ほど在職するだけで数千万の退職金等が支払われます。過去には横領などの不祥事も起きています。
クルマの免許の何倍もの人数に発行することになる自転車の免許制度は、毎年膨大な費用がかかるだけでなく、わざわざ既得権益を作ってやり、利権を与え、無駄なコストが膨らむことになるでしょう。免許をとったり更新したりする際の手数料など、国民の費用負担も増えることになります。

子どもからお年寄りまで誰でも乗れるのが自転車の良さなのに、その点でも免許制度は無理があるでしょう。取締りのためには免許の携帯を義務付ける必要が出てきますが、そうすると不携帯も取り締まる必要が出てきます。ちょっと近所に行くのに、いちいち免許携帯を義務付けられるのは、市民の負担になるはずです。
子どもは適用除外するとして、子どもの違反行為はどう防ぐのか、高齢者の免許更新にもクルマのような高齢者講習を設けるのか、偽造防止はどうするのか、日常的に携帯させて落とした場合の個人情報の保護は大丈夫かなど、いろいろな付随する問題も出てくるに違いありません。
いったん、自転車の免許制度を法律として制定した場合、その実効性を保つためには、考える以上に手間も費用もかかります。これだけ多くの人が乗っているのです。危険行為の取締りは必要としても、免許制度の実効性を維持するために免許不携帯を取り締まるなど、果たして現実的でしょうか。
警察は、クルマの免許だけでも対応が大変なのに、自転車利用者はあまりに対象が多すぎます。実効性を持たせるための膨大な手間を考えると、実際問題として無理だと思われます。結果として法律、あるいは制度として守らせられないようなものをわざわざ作るのはナンセンスと言わざるを得ません。

街中に無数の監視カメラが設置され、顔認証で即座に個人が特定され、AIが画像診断で違反を認定し、といった監視国家なら、あるいは可能かも知れませんが、日本ではナンセンスでしょう。法律の専門家は守られないような法律を作ることを嫌います。法の権威を落とすからです。
好みに合う法律だけ制定するというのではありません。必要な法律を全て制定して実効性を保っていくのは困難なことがわかっているからです。理屈ではなく現実問題です。結果として法律がないがしろにされる部分が出てくれば、法治国家としての基盤が揺らぎます。だから実際に自転車の免許制度は無いわけです。
世界中を見てもナンセンスと言わざるを得ない、自転車の免許制度導入を主張する人がいます。深く考えたことのない人には共感されるかも知れませんが、よく考えてみると無意味だと思います。それよりも、小林氏が言うように、教育や啓発活動によって現状を変えていくしかないのではないでしょうか。

極端な例えですが、私たちが街を徒歩で歩くのに免許はいりません。ですが、一定の歯止めはあります。例えば徒歩であっても法令を無視すれば死傷する危険が増し、自分が損をすることを知っています。小さいころから、そう教育されてきたので、ルール順守は自分の身を守るために必要だとわかっています。
自転車についても、車道を逆走したりすれば危険であることを理解させることが必要でしょう。いま一部の人が無頓着に違反している行為により、自らが死傷したり莫大な損害賠償の可能性があるとわかれば、一定の秩序形成が期待されます。教育や啓発を通じて、ルールを守らないといかに自分が損をするか理解させるべきでしょう。
そうすれば、莫大な費用が必要で、大いなる無駄になりかねない免許制度は不要ですし、無意味です。いかに現実的でないか、なぜ世界的に存在しないかを考えれば、おのずと答えは出ると思います。もちろん無法状態は困りますが、もっと現実的な方法を積み重ねていくのが妥当なのではないでしょうか。
◇ 日々の雑感 ◇
明日から仕事始めという方も多いでしょう。年末年始の休みが長かったので調子を戻すのに苦労しそうです。
Posted by cycleroad at 13:00│
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