しかし21世紀になっても戦争は続き、四半世紀過ぎた今でも、ウクライナ、パレスチナだけでなく、シリア、ソマリア、アフガニスタン、イエメン、ナイジェリア、エチオピア、アゼルバイジャンなどで内戦や紛争が起きています。ゲリラ戦などのいわゆる非対称の戦争も多く、紛争の数は前世紀よりむしろ増えています。
テレビでもガザ地区やウクライナでの空爆の様子が映し出され、罪のない一般市民が多数死傷しているのを見るのが珍しいことではなくなっています。悲しいことに軍隊同士の戦闘だけでなく、都市に、市民に、当たり前のように爆撃が行われる事態となっています。

戦争は多くの命が失われる悲惨なものです。なんとか停戦、和平に向かわないものかと思います。しかし、戦闘や爆撃が終わったとしても、戦争は大きな爪痕を残します。多くの死者だけでなく、負傷者や障害を負う人も出ますし、住むところを奪われ、職を無くし、食べることさえままならない難民も増えます。
建物や社会インフラが破壊され、経済も大きな打撃を受けます。焦土となった国土を復興するのは並大抵のことではありません。ある程度復旧しても、地雷や不発弾が残り、さらに人命を奪います。現在、世界各地に残された地雷を全部除去するには、1千年以上かかるとも言われています。

戦後80年経った日本でさえ、時々不発弾が見つかります。戦況などにもよりますが、地雷や不発弾という負の遺産による脅威は何十年、あるいは何百年と続くことになります。戦争が終わっても政情不安や統治機構の確立が遅れることで、経済的な復興に長い年月がかかることもザラにあります。
ところで、世界で一番爆撃された国は、シリアやレバノン、アルメニアやアゼルバイジャンなどではありません。実は東南アジアのラオスだと言われています。ベトナムでもないのです。正確な数字は必ずしも発表されませんが、米軍がベトナム戦争の9年間、ラオスへの空爆は58万回以上と言われています。

9年間にわたり8分に1回、投下された爆弾は2億6000万発以上、重量にして200万トン以上、人口一人当たり世界最大です。第2次世界大戦を通じて使用された爆弾の倍以上の量です。現役のアメリカ大統領として初めてラオスを訪問したオバマ氏は、史上最も空爆された国とラオスを呼びました。
ベトナム戦争で、南北ベトナムの隣に位置するラオスは、共産主義革命勢力のパテト・ラオがアメリカ軍に攻撃されただけではありません。北ベトナムから南ベトナム解放民族戦線への兵力や戦争物資の供給ルートとなった「ホーチミンルート」がラオス国内にあったからです。

北ベトナムと南ベトナムの間には非武装地帯があり、厳重に警戒されていたため、ベトナム国内を通っての補給や支援は不可能でした。そこで隣国ラオスの山岳地帯を経由して補給や支援が行われました。それが「ホーチミンルート」だったのです。
これをそのままにしていては、北ベトナムの勢いを抑えることは出来ません。そこで隣国ながらラオスの「ホーチミンルート」が徹底的に空爆されたのです。また空爆の際には、爆弾をそのまま持ち帰ることが出来なかったので、爆弾を投棄、捨てて帰る場所にもなったのです。

さらに悪いことは、その多くがクラスター爆弾だったことです。一発の親爆弾の中に数百個の子爆弾が入っていて、ばらまかれることになります。今でこそ条約で禁止になりましたが、効果的に人を殺傷できるため、盛んに使われました。子爆弾の全ては爆発しないので、これが飛躍的に不発弾を増やす原因となりました。
未だに約8千万個が不発弾として残っていると推定されます。不発弾の被害に遭った人は戦争後だけで2万人に上ります。2008年時点で被害者は毎年300人以上、最近はようやく減ってきましたが、50人程度出ています。小さい不発弾は、おもちゃか何かのように見えるため、子どもの被害も少なくないのです。
ベトナム戦争後40年経っても処理された不発弾は全体の1%に満たず、世界の不発弾被害の半数以上がラオスで起きています。ラオスはASEAN10か国で、唯一海に面していない農業国ですが、その基盤となる農地に多くの不発弾が埋まっているため、農地の開拓に高いコストがかかってしまうのです。
ただでさえ、国連の基準による後発開発途上国ですが、GDPの1/3を占める農業を成長させたくても不発弾に妨げられてしまうという状態です。不発弾の処理が遅々として進まないことも含め、ラオスでは、いかに戦争の爪痕が大きいか思い知らされます。
さて、そんなラオスで支援活動をしている人がいます。アメリカ人の、
Rebecca Rusch さんです。耐久レースのプロアスリートとして7回世界チャンピオンになり、その後マウンテンバイクやクロスカントリースキー、ロッククライミングなどのアドベンチャーに挑戦するサイクリスト、作家や講演者としても活躍する人です。
彼女は、ラオスのホーチミントレイルを、最初に自転車で完走した人物でもあります。このトレイルに挑戦したのには理由があります。Rebecca さんの父親は彼女が3歳だった時にベトナム戦争で、ラオスで撃墜されたアメリカ空軍のF-4戦闘機のパイロットだったのです。2007年になって遺骨の一部が発見されました。
その父親の亡くなった場所への旅に出たのです。整備された道ではありません。容赦なく照り付ける太陽、ジャングルや砂利の道、途中では洪水や急流を切り抜ける必要もありました。最初は追悼の旅だったのですが、そのトレイルの途中で、ラオスが負った破壊と重荷、そこで暮らす人たちの生活を見ることになりました。
とても貧しい生活をする人が少なくないラオスの村では、爆発した爆弾の破片を加工して、必要な生活道具から、外国人観光客のお土産などを作り、それを売って生活の糧にしています。不発弾を解体してしまって事故が起きることもある危険な仕事ですが、ほかに生計を立てる術がない人も多いのです。
このホーチミンルートでの経験が彼女に使命を与えることになりました。“
Be Good Foundation”という財団を設立し、ラオスでの不発弾の除去の支援を始めたのです。同時にラオス全土の子供たちや村人たちに、より効率的な移動手段として自転車を提供し、生活を向上させてもらおうと考えました。
彼女は、自転車は癒しであり、エンパワーメントの道具であり、生活向上の触媒になると思ったのです。生活とコミュニティを豊かにします。彼女も自転車好きですから、自転車を自由と絆の象徴と感じています。寄付を集めて奨学金や女子のメンターシップ、助成金プログラムなども創出しています。
オバマ元大統領は、ラオスでの演説て、多くの米国人は米軍によるラオス空爆の規模を知らずにいると述べています。Rebecca Rusch さんもそうでした。しかし、父親の亡くなった地であり、その遺志が彼女を行動に駆り立てた気がしています。彼女の父親の戦地から届く手紙には、必ず“Be Good.”と書いてあったのです。
彼女のホーチミントレイルでの冒険を描いた映画、“Blood Road”は最初は単なる記録のつもりでしたが、もっと深いテーマを描くこととなりました。ニュース&ドキュメンタリーのエミー賞ほか、数々の映画祭の最優秀賞を獲得するまでの作品になりました。
21世紀になっても戦争を始める為政者はなくなりません。でも一方で、反戦や核兵器の廃絶を主張し活動する人たちもいます。そして、戦争がもたらした惨禍からの復興に向けて支援活動をする人もいます。なぜ人類は戦争をやめられないのかわかりませんが、気の遠くなるような年月の必要な復興に取り組む人がいるのも確かです。
◇ 日々の雑感 ◇
英国がロシア軍で昨年43万人近く死傷し23年より大幅増と発表、伝統的に兵士の死を厭わない恐ろしい国です。
Posted by cycleroad at 13:00│
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