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病気以外にも事故や事件、災害などで人が死亡することがあります。病気については医学者が治療や予防の研究を進めていますが、事件や事故などについても原因を特定し、場合によってはそれを除去するなどして再発を防ぐ取り組みが進められるのが一般的です。
コロナでさまざまな対策が取られたのは記憶に新しいところですし、道路の陥没事故を受けて全国にインフラの点検や対策が命じられました。その他にも何かの原因で死傷する人が出れば、対策を講じたり、再発を防ぐために法改正されたりします。例えそれが全人口の僅かな割合でしか被害を受けないことであっても対策されます。

もし犯罪者集団によるものであれば検挙に全力を挙げるでしょうし、機器の不具合等であれば周知されたり回収されたりします。ほかにも新たに明らかになった事象の要因が判明すれば、そのことを周知したり、再発防止策がとられることになります。再び起きる可能性があるのに放置すれば非難され、許されないでしょう。
当然のことなわけですが、中に大きな例外があります。交通事故です。毎日のように死亡事故が起きているのに、その原因が一部で放置されています。もちろん、事故の加害者が逮捕送検されたり、場合によっては法規制が強化されたりしますが、再び起きることが予想されるのに根本的な対策が取られていないことがあります。

安全上問題のある道路があります。事故になりかねない箇所を修復して事故を防ぐことは十分に可能なのに、それが行われない場合があります。不幸な事故が起きた後に、その場所にガードレールや信号・標識などが設置されたりしますが、死亡した被害者の家族にしてみれば、なぜ未然に対策してくれなかったかと思うはずです。
何かの理由で大切な人を失った被害者家族にしてみれば、もう故人が戻ってくることはありません。それならば、せめて再び同じことが起きて、同じように悲しむ人を無くしたい、故人の死を無駄にしたくないと思うのは自然な感情でしょう。そのように発言したり、行動を起こす例を見聞きすることは少なくありません。

交通事故に対しても、そのように考える人たちがいます。事故の直接の加害者の処分や厳罰化を求めたりするのとは別に、再び交通事故が起きないような道路に改良することを求めて活動を展開する被害者家族たちです。そのうちの一つが、2014年にニューヨーク市で設立された、“
Families for Safe Streets”です。
交通事故で亡くなったり重篤な後遺症を負ったりした人の家族によって立ち上げられました。安全な道路を実現するための活動が展開されています。交通安全のために切望されていたリソース、戦略的ガイダンス、それらを含む具体的な計画を提示したりしています。命を救うための改革を訴え、被害者家族の支援も行っています。

アメリカの道路では毎日120人が亡くなり、1万4千人以上が人生を変えるような怪我で後遺症を負っています。あらゆる事故は家族も破壊し、地域社会の安心を揺るがします。でも交通事故は防ぐことができます。これらは偶然おきた「事故」ではなく、その原因となる問題に実証済みの解決策があるのです。
ほかのことと同じように、交通事故による死亡や人生を変えるような怪我は本来、決して許されるものではありません。しかし、クルマの普及以来、ずっと事故が起きてきました。あまりにも長い間、繰り返されてきた結果、それが普通のことのようになり、いわば感覚が麻痺してしまっているのが問題です。


たまに起きる、故意に引き起こされた事故は別として、普通の事故はそれが起きないようにすることが出来るはずです。安全な道路に改良し、安全な速度や規則を守らせ、徒歩や自転車などの交通弱者を保護すれば、防げたはずの事故は膨大な数に上ります。事故が起きる可能性があるのに放置されているのです。
このような考え方は、「
ビジョン・ゼロ」の理念なども同じですが、道路交通システムにおいて死亡・重傷事故がゼロになっていないことを問題としています。本来は、交通事故で人命が失われるようなことはあってはならないはずなのです。決して許容できないというスタンスに立っています。


クルマによる移動の効率を優先する考え方が、暗黙のうちに普通になっています。効率や経済性より人命を優先するべきなのです。決して元には戻らないわけで、クルマより人命を優先して道路は整備されなければなりません。こうした人間優先の考え方は、欧米を中心に広がりつつあります。
具体的には、例えばクルマの都市部への流入抑制などにより、歩道や自転車レーンの拡張やセパレート化、クルマのスピードの低減など、人々が歩いたり自転車に乗ったりして安全に過ごすことが出来る都市の構築を目指しています。これは同時に持続可能な都市にすることでもあります。


この“Families for Safe Streets”とも連携して活動している“
Transportation Alternatives”も同じ理念を掲げ、物理的な安全性の高い自転車専用レーンの普及にも取り組んでいます。クルマでなく自転車を利用する人を増やすためには、自転車に乗ることが安全でなくてはならないと考えるからです。
調査によれば、人々が自転車を選択する最大の障害が安全性となっています。自転車の利用者が増えて、そのぶんクルマの運転が減れば、相対的に事故が減る効果もあります。そして、自転車の利用率が高まるほど、道路利用者全体の事故率が低下することがわかっています。そのために安全な自転車レーンなのです。


日本のように自転車が歩道走行をするという特殊な環境は別ですが、安全な自転車レーンが整備されている都市では、自転車や歩行者とクルマの通行がセパレートされ、物理的に事故が起きにくくなります。安全性の高い自転車レーンによって、道路利用者全体の事故率が低下するのは、ある意味自明のことでしょう。
日本でも、いろいろな事故や事件、災害や事象などが起これば、それによる人命の損失を再発させないよう最大限の努力がなされます。しかし、交通事故に関しては、それがあまりにも日常のこととなってしまっているため、おろそかになってはいないでしょうか。

事故によって日々失われる命は、ややもすると「数字」になりがちですが、自分の家族や友人などが亡くなった時に、事故を防ぐべきであったことを痛感するはずです。まず、人間の命が優先という当たり前のはずのことが、クルマ優先になっていることの異常さを正していく必要があるのではないでしょうか。
◇ 日々の雑感 ◇
トランプ氏は有意義だったとしていますが米ロ首脳の電話会談で即時停戦は実現せず、今後が懸念されます。
Posted by cycleroad at 13:00│
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