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サイクリストと言った時、どんな人を思い浮かべるでしょうか。ロードバイクに乗って、サイクルジャージを着てレーパンをはき、細見で筋肉質の人といったイメージがあるかも知れません。実際、プロのロードレースの選手などには、このようなタイプが多いと思います。
アマチュアであっても、スポーツとしての自転車を志向し、スピードや自らのパフォーマンスを上げるためトレーニングに励み、ロングツーリングをしたり、何かの大会を目指したりするイメージでしょうか。趣味のサイクリストに、このような人は多いに違いありません。
いわばアスリート指向のサイクリストと言えるかも知れません。個人のブログなどを見ていても、このような方向性で、競技・スポーツ指向の人は少なくありません。練習日記やツーリングの記録などを載せていたりします。そうでない自転車乗りからすると、ある種の敷居の高さを感じるかも知れません。
しかし、当然ながらサイクリストは、そのような人ばかりではありません。いろいろな人がいますし、いろいろな楽しみ方があります。このブログではスポーツ指向だけでなく、さまざまなサイクリストを取り上げてきました。特定のイメージにとらわれず、いろいろなタイプのサイクリスト、自転車に乗る人がいるというスタンスです。
ところが、世の中にはサイクリストのイメージが固定的であり、それによる弊害があると訴える人たちがいます。その一つがアメリカ各地に支部を展開する全米的な非営利団体、“
All Bodies on Bikes ”です。この団体はサイクリングが、あらゆる体型の人にとって歓迎されるものであるべきだという理念を掲げています。
一般的な体型の人にとって、ピンと来ない理念かも知れません。しかし、体格の大きな人にとっては、サイクリストのイメージが固定的であるため、乗りにくいと感じているのです。体格や体重に関係なく、自転車に乗りたい人は誰でも恥じることなく乗れるべきだと考えています。
この活動は、体格の大きな人には共感を呼ぶだろうと始められましたが、その反響は創設者たちの想像を超えるものでした。同じような悩みを抱えたり、標準体型の人を含めて疎外感を感じ、このようなコミュニティがあることを歓迎し、仲間になりたいと希望する人は多かったのです。
体格の大きな人の悩みは、そのことゆえに好奇の目で見られるだけではありません。自転車業界は、スピードやパフォーマンスに振れ過ぎており、例えばバイクの荷重制限の幅が小さかったり、大きなサイズのジャージやその他の用品がなかったりすることが多々あると感じているのです。
スポーツやアスリート指向な人だけでなく、自転車にはいろいろな楽しみ方があります。表彰台を目指したり、パワーメーターを重視するだけでなく、仲間とのライドを楽しんだり、コミュニティを形成したり、支えあったり、もっといろいろな価値観があっていいはずだと考えています。
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All Bodies on Bikes ”の活動により、サイクリングメディアでも、多様な体型の人々が取り上げられるようになってきたと感じています。体型に限らず、有色人種のライダー、障がいのあるライダー、移民や難民も含め、さまざまなライダーが自転車に乗っている姿を目にするのが、ようやく当たり前になってきたといいます。
最初は小さな草の根運動でしたが、全米各地に支部を持つだけでなく海外、世界中にコミュニティを拡大する団体になっています。この活動を追ったドキュメンタリーが作られています。大手部品メーカーのシマノも協賛して制作された“
We Are Cyclists ”です。
下の動画は公式の予告編ですが、フルムービーは3月18日公開です。プロのロードレースやビッグマウンテントリックなどが主流となっているサイクリング文化において、この映画は自転車に乗ることの意味を再定義します。パフォーマンス重視の狭いサイクリングの定義に挑戦し、サイクリストと名乗れる人の範囲を広げます。
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(追記:本編を追加しました。)
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喜び、包容力、そして集団的なケアを基盤とする“All Bodies on Bikes”は、これらの価値観が過激なものではなく不可欠なものであることを証明し、歴史的に周縁に追いやられてきたライダーを中心に据えることで、この組織はサイクリングを、誰もが歓迎され、必要とされ、そして力を得て乗ることができるものに変えています。
個人的には、特定のイメージが先行し、体型や体格の違いで差別や偏見があるとは思っていませんでしたが、このように感じている人は少なくないようです。当事者でないと感じられない部分もあるのでしょう。日本と違って、アメリカには大きな体格の人が多いぶん、そのような悩みを持つ人が少なくなかったのかも知れません。
サイクリングが誰でも楽しめるという多様性や包摂性は大切な要素だと思います。スポーツとしてだけでなく、自転車を交通手段、レクリエーション、趣味、また社会的なつながりを広げる手段として活用できることはアクセシビリティ、誰もが自転車の良さ、楽しさを感じる上で重要なことでしょう。
シマノのような大手メーカーが参加することは、業界の多様性に対する意識も変わっていることを示しています。耐荷重など、仕方ない部分もあるのかも知れませんが、サイズを増やすなど、これまでよりも広範なユーザーにアクセスを広げることは、メーカーにとっても意味のあることに違いありません。
これまで一部のサイクリストが参加しにくかったのが問題というだけではありません。社会的孤立や分断が顕著とされる時代において、サイクリングは信頼やつながり、支えあいを築くシンプルで敷居の低い方法でもあります。インクルージョン(包摂性)を実現する手段でもあるわけです。
サイクリングはスピードや体力、あるいはアイデンティティによって定義されるものではないと主張しています。誰もが自転車に乗ればサイクリストです。誰もがサイクリングをし、仲間と楽しむことが出来ます。もし、一部の人だけがサイクリストとのイメージがあるとしたら、それは変えていく必要があるといえそうです。
◇ 日々の雑感 ◇
アメリカとイランの協議は双方の説明が食い違い二転三転し世界が振り回されています。停戦するのでしょうか。
Posted by cycleroad at 13:00│
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